こんにちは。
現在
GarallyAn Asukayamaでの2人展
も7/7(月)までと
いよいよ今週末と、来週で終わりとなります。
展示の準備から始め、
オープニングも終わり
ここへ来てぼくの心境の変化がありました。
正直ずっと
悩んでいました。
この出会いに運命を感じ、
今、自分のやるべきことだろうと
分かっていました。
でも
「表現する」とは何だろう?
「アーティスト」とは何だろうと?
自分はいったいここで何をやっているんだろう?
と
「アート」と「デザイン」
「自己表現」と「ビジネス」
「アート」が「自己表現」ならば
いままで生きてきて、自分のしてきた
ことは自己表現ではなかったのか?
と
頭の中をぐるぐると。
そして、
今のボクの出した答え
アートとは
「生きること」
でした。
この世界で「生きること」
それ自体が「表現」で「愛」なのだと。
「表現する人」すべてが「アーティスト」なのだと。
この答えが正しいかどうかは分からないです。
でもぼくは思いました。
自分を「生きよう」と。
そして
「生きる」ということが、
「生命の存続」ではなく
世界中の全員が「自己の表現」のために「生きる」ことができる
世の中であって欲しいと。
そうアイディアが振ってきた瞬間
自分の1人の人間(アーティスト)としての使命が
見えた気がしました。
自分の生業としている
音楽で空間をデザインする仕事も
どんな仕事も
今回の「作品」の展示も
すべて同じでした。
すなわち
I am...
「ボクはこんな人間です」
「ボクはこう思います」
「ボクはこう生きてます」
と表明することに何も違いはありませんでした。
そして
「あなたは誰ですか?」
「あたは、どう思いますか?」
「あなたは、どんな生き方をしているのですか?」
と
世界と会話をし続けることだと。
今回は、この年齢で
「始めての作家デビューだよ」と言われ
勝手にプレッシャーを感じていました。
しかし、全てはボクの
今まで生きてきたことこの延長であり
これからも生き続けることの「通過点」にすぎないと。
ただ、その「点」を
「どう生きるか」
最後になりますが
今回のぼくのサウンドアートの題名は
[ n o w h e r e ]
といいます。
no where(どこにもいない)にもなり
now here(今、ここにいる)にもなります。
スペースを一つ変えただけで。
自分の立ち位置、状況を変えるだけで
物事の意味は変わってきます。
そして、それは時に「矛盾」となり
その境界線も変わる。
そして、その境界線ですら
誰か決めたのか?
自分で決めたのか?
何が真実なのか?
Where is you?
Who you are?
and
Why do you think so?
Love
by
yasuharu OKOCHI(Haru)
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